「 我が青春のあけぼの荘 」 世田谷線(玉電)の踏切を渡るとすぐの木造モルタル造りのおんぼろアパート。 四畳半、風呂なし、共同トイレ。そんな居住条件が極々普通だった 昭和50年の三軒茶屋で僕は都会生活をスタートした。神田川こそ流れていなかったが、 まるで歌の世界がそこにあった。